フロイトの死後、精神分析は様々な学派へと分かれていきました。今回は精神分析家の一人であるウィニコットを取り上げます。
彼の経歴や主要な業績である移行対象、ホールディングなどの重要概念をわかりやすく解説していきます。
目次
ウィニコットとは
精神分析の創始者であるフロイト,S.の死後、1940年代のイギリスでは精神分析の2つの学派が大きな論争を巻き起こしました。
1つはフロイトの娘フロイト,A.を中心とする自我心理学派、もう1つはクライン,M.を中心とする対象関係論という学派です。ウィニコットはクラインの元で精神分析を学んだ精神分析医、小児科医です。
しかし、ウィニコットはクラインの学派に属することはなく、小児科医としての立場を一貫して保つ独立学派であり続けました。そして、子どもと母親を1つの単位として情緒発達の理論を独自に展開していったのです。
それでは、ウィニコットの生涯と経歴を詳しく見ていきましょう。
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ウィニコットの経歴
ウィニコットは1896年にイギリスのプリマスという港町で生まれました。彼の父は、貿易商として成功し、さらにはプリマスの市長になる政治家でもありました。
裕福で社会的地位の家庭に生まれたウィニコットは15歳に鎖骨を骨折したことを契機に医学校への進学を決意し、ケンブリッジのジーザス・カレッジへと進学します。
ウィニコットが進学した後に起こった第一次世界大戦の終戦後、聖バーソロミュー病院で医学の勉強を続け、1920年に医師免許を取得し、1923年からはパディントン・グリーン子ども病院で1963年まで勤務することとなります。
しかし、この時は、小児科医としての仕事に没頭しており、心理的な疾患を専門に扱ってはいませんでした。
精神分析医としてのキャリアスタート
ウィニコットが精神科医としてのキャリアをスタートさせるきっかけは結婚です。彼は1923年に4歳年上のアリス・テラーというオペラ歌手と結婚しました。アリスは精神疾患を抱えており、これにより結婚生活は順調ではなかったと言われています。
ウィニコット自身も9歳のころから夢を思い出すことができないということに悩んでいたこともあり、結婚後すぐに精神分析の訓練を開始します。1927年にはイギリス精神分析協会の訓練生となり、その8年後には精神分析医となりました。
分析を受けていた精神科医の紹介から対象関係論の代表的な学者であるクラインと出会い、スーパービジョンを受けるようになります。
しかし、ウィニコット自身は当時起こっていた自我心理学と対象関係論の対立には何の意義もないと否定的であり、どちらの学派とも距離を置くようになったことで独立学派に属しました。
そして、1971年に74歳で死去するまでの間、慢性の肺疾患と心臓疾患に苦しみながらも独自の精神分析理論を展開していったのです。
ウィニコットの精神分析理論
クラインの元で学んだという過去からウィニコットの理論は対象関係論と近しい存在にありますが、後にウィニコットはクラインと袂を分かち、独自の理論を展開していきました。
今回はその中の重要概念をいくつかご紹介します。
情緒発達理論
ウィニコットの理論と他の精神分析学派の大きな違いとして、ウィニコットは子どもの発達において母親と子どもを1つの単位として捉えたことが挙げられます。
フロイトの提唱した精神分析の発達理論では、リビドーと呼ばれる性的なエネルギーがどの身体部位に集中するかによって発達段階の分類を行っています。
しかし、ウィニコットは人間の成熟は、個人の成長のみならず社会化という意味合いも含んでいるとし、次の4段階を提唱しました。
【ウィニコットの情緒発達段階】
- 絶対的依存(0~6か月頃)
- 移行期(6か月~1歳頃)
- 相対的依存(1歳頃~3歳頃)
- 独立準備期(3歳以降)
移行対象
ウィニコットの発達段階における第一段階の絶対的依存期は0歳から生後半年と、幼児が食事、排泄、睡眠など生きるために必要なことを母親にしてもらわなければならない時期です。
その一方で、母親も臨月から産後数週間は乳幼児にまるで一体化しているかのような感覚に陥り、子どもの世話に没頭する状態にあります。
ウィニコットはこの異常なまでに母親が子どもの世話に没頭する期間のことを原初的没頭を呼びました。この母親の行動によって、乳幼児は自我ニードと呼ばれる生きるために必要なものを求める欲求は満たされる存在となるのです。
しかし、この時期の母親があまりにも子育てに没頭し、過不足なく自分の欲求を満たしてくれるため、自分が求めさえすれば、欲求を即座に満たすことができるという万能感と魔術的思考を持つのです。
つまり、ミルクを与えてくれる母親という存在を認識せず、そのミルクを自分が欲したことによって創造したと錯覚するのです。
移行期と移行対象
子どもは成長してくると、次第に自分の身の回りのことができるようになり、母親への依存性が薄れていくことで母親の原初的没頭も終わりを迎えます。
この段階が移行期と呼ばれる時期になるのですが、これまで強く依存していた母親からいきなり離れてしまうことは大きな不安が生じてしまいます。
そこで、この移行期には、乳幼児にとって母親のような安心感を感じられる、心理的な価値を持つ代替物をそばに置くことで母親から分離していくことができると考えました。
この乳幼児にとって心理的な価値を持つものは移行対象と呼ばれます。
なお移行対象は次のように分けることができます。
【移行対象の分類】
- 一次的移行対象:乳幼児の肌に触れているシーツや毛布、おしゃぶりなど
- 二次的移行対象:愛着を持っているおもちゃやぬいぐるみなど
ほどよい母親
ウィニコットの発達理論では、乳幼児の世話に没頭していた母親が徐々に離れていくことで、子どもの健全な情緒発達が促進されていくという前提に立っています。
そして、子どもの健全な発達を促進する理想的な母親のことを「ほどよい母親」と呼んだのです。
身の回りの世話をしすぎる過干渉な親、もしくは育児に関心を持たなかったり、厳しすぎる躾を行う親の元で育つ子どもは後の人格形成や精神健康の発達に支障をきたします。
ウィニコットの指したほどよい母親は何も特別な子育てのスキルや強い情熱を持つ母親像ではなく、ほどよく子どもに愛情を注ぐことのできる一般的な母親像です。
子どもの感情に共感的に接したり、できることを増やそうとサポート、見守る姿勢を持ち、一緒にいる時間を楽しむというほどよい母親の働きかけが子どもの発達を促進するという考えは当時の精神分析において革新的な考えであり、小児科医としてのキャリアを築いていたウィニコットだからこそ提唱できたのでしょう。
ホールディング
ほどよい母親の接し方はなぜ子供の発達を促進するのでしょうか。
それを理解するためにはホールディングという概念を学ぶ必要があります。
ホールディング(Holding)とは、直訳すると「抱きかかえる」という意味を持っていますが、ウィニコットの提唱したホールディングはもっと広い概念です。
ほどよい母親は、子どもが何に関心を持っているのか、どのようなことに困っているのかなど子どもの様子を見守っています。
この様子は、乳幼児が母親に昼夜問わず抱っこされていた時期が終わってもなされることであり、まるで抱っこされているときのような安心感が得られ、母親が常にそばにいてくれるという存在の連続性が幼児のこころの育まれます。
このような安心感をもたらすような、母親の日々の世話がホールディングであり、これはウィニコットによる心理療法においても重視されています。
偽りの自己
ウィニコットの理論では、生まれて間もない乳幼児は原初的没頭状態にある母親の元で過ごすため、万能感と魔術的思考を備えていると先ほど説明しました。
健全な発達過程ではその後、緩やかに母子分離を果たしていくわけですが、この過程において、自分は万能であるという錯覚に陥っていた乳幼児は、これまで自分の欲求が満たされていたのは母親という別の存在がいたおかげであるという脱錯覚へ至り、その母親がほどよい母親としてホールディングしてくれることで、いつも安心できる母親がいるという存在の連続性を自覚します。
しかし、この母子分離過程でほどよい母親が存在しない場合、例えば乳幼児泣いたとしても世話をしないなど母親が乳児の示すサインへ応答しそこなうような場合、存在の連続性は中断されます。
このような存在の連続性が損なわれるような状況のことをウィニコットは侵襲と呼びました。
そして、侵襲により非力な自分が壊滅してしまうかもしれないという強い不安が生じてしまうのです。
それに対処するために乳児は人格を分裂させ、母親が自分の欲求を満たしてくれない恐ろしい世界に面している自分と、万能感を維持する自分の2つの人格を形成します。
この時、外界に面しており、外界から要求されることに従う人格を偽りの自己と呼びます。
この偽りの自己は一種の防衛であり、予測不可能な外界と侵襲の恐ろしさから自分を守る組織体ですが、次第に外界への反応が積み重なることによって本来なら母親が提供すべきであるホールディングに相当する環境を提供する世話役の自分へと発展します。
しかし、こうして自分で自分を慰めるようなことを続けていると本当の自分は発達することができないため、現実感が欠如し、自発性が失われた偽りの自己が前景に出ることで、本当の自分が分からなくなり、社会生活への適応に支障をきたすようになります。
ウィニコットはこのような発達の失敗により、小児分裂病などの精神病やスキゾイドパーソナリティ、境界例などの人格の障害が引き起こされると考えたのです。
そのため、発達の際に与えられるべきであった、ホールディングを治療場面で提供することによって治療を行おうとすることがウィニコットの治療理論だと言えるでしょう。
ウィニコットについて学べる本
ウィニコットについて学べる本をまとめました。
初学者の方でも手に取りやすい入門書をまとめてみましたので、気になる本があればぜひ手に取ってみてください。
ウィニコット用語辞典
ウィニコットの理論を学ぶ上で、その独特な用語がいったいどのような意味を持っているのかをすぐに調べることが出来れば、よりスムーズに学習が進むでしょう。
ウィニコットの提唱した重要概念の意味を索引出来るこの用語辞典を片手にウィニコットの提唱した理論を学びましょう。
ドナルド・ウィニコット:その理論と臨床から影響と発展まで
ウィニコットは小児科医としてのキャリアを築きながら精神科医としても活躍した、異例の経歴の持ち主です。
そのようなウィニコットの生涯から理論的背景、臨床的な貢献など多角的なウィニコットの業績を紹介する本書はこれからウィニコットについて学ぶ方へおすすめの一冊です。
ぜひ本書でウィニコットの考えについて深く学びましょう。
子どもと母親の相互関係
発達における母子間の相互作用を重視する考え方は現代では当たり前なっていますが、それもウィニコットが精神分析という心理臨床の現場でその重要性を主張しなければ、現在の心理学はなかったかもしれません。
子どもに関わる現場では今でもウィニコットの考えは現在でも重視されています。
ぜひ、これからもウィニコットの理論について詳しく学びましょう。
【参考文献】
- 中野明徳(2019)『D・W・ウィニコットの情緒発達理論と精神分析』別府大学大学院紀要 (21), 41-61
- 高森淳一(2000)『Winnicottのシゾイド論:偽りの自己』天理大学学報 52(1), 99-119
- 堀江桂吾(2014)『ホールディングとコンテイニング 理論的陳述』駒沢女子大学研究紀要 (21), 149-157