事例研究(ケーススタディ)とは?目的・方法と問題点を具体例とともに解説

2021-09-16

科学である心理学の研究には、こころという目には見えない存在を数値化し、統計的に分析を行うという手法が用いられることが多いです。

しかし、事例研究と呼ばれる研究では、統計では捉えきれない知見を得ることが出来ます。心理学において、事例研究の意味や目的はどのようなものなのでしょうか。その方法や問題点、具体的な事例に関してもご紹介します。

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事例研究とは

事例研究とはいったいどのような研究なのでしょうか。

事例研究の意味

事例研究とは、一般的法則や普遍的な概念を明らかにするのではなく、個々の事例の問題性を把握し理解を深め、問題解決のための対応を見出すことを目的とした総合的なアプローチのことです。

また、これと類似した用語に事例研究法があります。

両者は混同されることも多く大きく異なるわけではありませんが、厳密には事例研究法は研究方法論の一つであり、事例研究のアプローチを用いて科学的な問いかけに答えようとすることを目的として行われる心理学研究の1つです。

そのため、事例研究は、必ずしも論文化されるような研究ではなく、臨床家、実践家が自らもしくは同僚などのケースにより良い対応を行うために日常的に行われる検討なども含まれるでしょう。

心理学研究の歴史と事例研究法

1879年、ヴント,Wによりライプツィヒ大学の実験室から始まった初期の心理学では、哲学との違いを強調するためにか生理学との関連が強い研究がなされていました。

代表的なものとしては、2つの似たような刺激の差を感知できる最小の刺激差を検討する「弁別閾」やある感覚を生じさせるために必要な最小の刺激量を調べる「刺激閾」の研究などが挙げられるでしょう。

この後も、心理学では自然科学であるという立場を強調するために、何らかのこころの働きを目に見える数値へ変換し、それに統計処理をかけることで一般的・普遍的な心の働きに関する法則を見つけようという研究が発展していきます。

このような、数値により「客観性」や「再現可能性」を重視し、一般的な法則を検証しようとする立場は量的研究や法則定立的研究などと呼ばれます。

しかし、人間のこころはどこまで突き詰めてもコンピューターのような、特定の刺激に対し、必ず決まった反応を示すわけではなく、量的研究で扱われる数的データは研究対象以外のこころの働きを削ぎ落しているものです。

そのため、数量的データでは捉えきれない事物や出来事のありようを記す質的データを扱う質的研究もしくは個性記述的研究では、量的研究では明らかになりにくい対象の思考や心理的な過程を把握することが目的となっています。

そして、臨床心理学における質的研究として多く用いられているのが事例研究なのです。

事例研究の目的

事例研究の目的は大きく分けると次のようになります。

  • 特異な事例の報告(特殊な事例の診断・治療例の報告)
  • 新しい技法の提示新しい理論・見解の提示(事例を通じて新しい理論とその検証過程を示したり、ある症状における心的メカニズムについて新しい見解を示す)
  • 現行学説への反証(通説にそぐわない事例を提示し、通説の批判、修正を求める)
  • 仮説と理論の証明・確認(提示された理論が現実に沿ったものであることを事例を通じて証明する)
  • データの集積(理論化に向けたデータ収集のため)
  • 集団・コミュニティー研究のための事例調査(事例を多く集めることにより、ある集団の一般的傾向の糸口をつかむ)

 

事例研究の方法

数量データを統計的に分析するわけではない事例研究では、まずその事例がなぜ研究対象となるのかを明確にする必要があります。そして、事例から得られる多様なデータやその背景にある文脈に注目し、新たな理論や知見などをまとめていきます。

また、クリニックなどではそうしてまとめられた内容を事例研究会などで発表し、今後の治療に役立てることもあります。

事例研究会を実施するときの注意

事例研究会を実施、参加するうえで特に注意すべき事項は次の通りです。

  • 秘密を守り、外部へ漏れないよう配慮する
  • 事前に何に困っているか、検討すべき事項などをまとめ、問題点を焦点化する
  • 事例提供者へ攻撃的にならないよう気を付け、発表者のポジティブな面をフィードバックする
  • 様々な角度から検討がなされるよう気を付ける
  • 特定の参加者のみならず、全員が自由に発言できる雰囲気づくりをする
  • 意見や質問などを明確に伝える
  • 資料と事例発表での情報を基に客観的に判断し、推論は避ける
  • 全ての意見を大事にし、全員で方針を固めていく
  • 話し合われた対応策が、すべての事例にも効果的であるとは限らないという前提を忘れない

 

事例研究の特色と問題点

事例研究では、統計学を用いた量的研究にはない特色を持っています。

そしてその反面、事例研究には注意するべき問題があることも事実です。

事例研究の特色

事例研究の特色について整理してみると次のようなものになります。

  • 比較的長いスパンでの変化を把握することに適している
  • プロセスを説明するのに適している
  • 行動あるいは事象における諸要因のダイナミズムを質的、構造的に捉えるのに有効
  • 仮説を発見し、課題を明確化できる
  • 生活状況に関与しながら行う
  • 個を通して普遍性を追求する

 

事例研究の問題点

しかし、事例研究は問題点も抱えていると批判を受けることも少なくありません。

  • 事例と同様の結果が他の同じ条件でも示されるとは限らず、再現性に欠けている
  • 研究者自身の主観的な偏りが反映されやすい
  • 少数事例から知見を見出すので普遍性に問題を抱えている

 

このような問題点をカバーできるのが量的研究であり、事例研究をはじめとする質的研究と量的研究は相互に補完し合うものであるともいえるでしょう。

事例研究の具体例

実際の事例研究はどのようなものなのでしょうか。

今回は服部(2002)が平仮名の読みに困難を示す学習障碍児へ行った指導を取り上げた事例研究をご紹介します。

学習障害は全般的な知的発達の遅れはないものの、特定の学習に対し著しい困難を示すものであり、その中に文字の「読み」に著しい困難を示す読字障害があります。

このような読字障害に対する指導法はいくつかありますが、次のような課題を抱えているため、読みの困難を引き起こしている情報処理特性の分析と対象児に適した指導について検討をしています。

【従来の読字障害児への指導法の問題点】

  • 読みの速度が改善されないこと(形態言語化法)
  • 単語の読みの習得が進みにくいこと(キーワード対応法)
  • 単語を構成する平仮名1文字1文字の読みの困難が示されること(刺激等価法)
  • 指導頻度の高さや終了までの期間が長いこと(天野教育プログラム)

このように先行研究で示されている課題を明確にし、新たな指導アプローチを検討するという明確な目的のもと事例研究を行っています。

事例の概要

【事例の概要】

出生後、運動発達の面で遅れは見られなかったが、言語発達が遅く、3歳児健診でことばの遅れを指摘され、同年齢児とのやり取りが言葉の発達を促進するかもしれないと勧められ、保育所へ入所。その後表出する言葉が増え、同年齢児へ関心を示し、集団行動も可能だった。

しかし、小学校入学当初より教科書の音読が出来ず、担任から注意を受けることも多かったため投稿を渋るようになる。1年生の1月にテストを白紙で提出したことを教師に叱られ、翌日から投稿を拒否したため、保護者が福祉センターへ相談した。

対象児は文字への関心が薄く、山や川など漢字には興味を示し覚えることもできたが、平仮名には全く興味を示さず、1文字1文字を正確に読むことが出来なかったそうです。

そこで、知能検査等により対象児の知的能力を詳細に調べてみたところ、継次的な処理能力(物事を順番に1つずつ処理していくこと)に弱みがあり、中でも聴覚性の短期記憶と抽象的な視覚刺激の探索・記憶が難しいために「平仮名の形-音」の対応関係を機械的に覚えることが困難なため、読字障害が生じていることが考えられました。

ただし意味のある視覚刺激を処理する能力は比較的高いため、漢字は読むことが出来ても、平仮名が難しいという症状が引き起こされていたことが推察されます。

指導内容と指導後の変化

そこで、平仮名の形の認識を高めるため「形態言語化法」、文字と音との対応を習得するために「キーワード対応法」を組み合わせて行いました。

また、個々の文字に対する理解が進んだとしても、文章のまとまりになった際の読解には、処理速度の向上と処理の自動化が求められます。

そのため、この2つの能力を向上させるために文字カードや単語カードを素早く提示し、それを音読させる「瞬時提示課題」を実施しました。

このような取り組みを続けた結果、カタカナの単語と小学校2年生レベルの漢字40文字程度の読みを習得し、単文の読解も可能となったそうです。

このように個別の事例を報告することは、これまでの研究で得られた知見を集束させ、現実のケースにどのように当てはめていけばよいのかを学ぶことが出来るのです。

事例研究について学べる本

事例研究について学べる本をまとめました。

相談援助職のための事例研究入門 ―文章・事例・抄録の書き方とプレゼンテーション

カウンセリングなど相談援助業務は、個室などでクライエントと1対1の形式で進められることも少なくありません。

しかし、ケースを進めていく上で行き詰ったとき、一人で抱え込んでしまうとクライエントの利益にもつながりにくいですし、なにより援助者自身の負担が大きいでしょう。

そのため、事例研究会などでケースを発表し、同僚から新たな視点を得られるよう事例研究の進め方について解説してある本書を手に取ってみることをおすすめします。

心理臨床家のための「事例研究」の進め方

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事例研究を行うためには、研究対象となる患者・クライエントの権利を侵害してはならない倫理的配慮が必要となり、ただ研究するだけではなく、自身のケースに有益な知見を得たり、他の心理臨床家が同様のケースを抱えた時に役立つことが前提条件となります。

そのため、事例研究を始める前の基礎から実際の応用までを簡潔にまとめてある本書は初学者の方におすすめです。

個別的な事例から学べる事

これまでの臨床心理学の発展には量的研究から得られた普遍的、一般的法則という知見が大きく貢献していることは間違いありません。

しかし、その法則で人間のこころの働きの全てを捉えられることはあり得ません。

そのため、リアルな心理臨床の現状を記述し、個々のケースに最適な対応を見出すためにも事例研究は必要とされているのです。

【参考文献】

  • 吉村浩一(1989)『心理学における事例研究法の役割』心理学評論 32(2), 177-197
  • 武藤安子(1999)『事例研究法とはなにか』日本家政学会誌50(5), 541-545
  • 南博文(1991)『事例研究における厳密性と妥当性 : 鯨岡論文(1991)を受けて』発達心理学研究 2(1), 46-47
  • 服部美佳子(2002)『平仮名の読みに著しい困難を示す児童への指導に関する事例研究』教育心理学研究 50(4), 476-486

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    • この記事を書いた人

    t8201f

    臨床心理士指定大学院に在学していました。専攻は臨床心理学で、心理検査やカウンセリング、心理学知識に関する情報発信を行っています。

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