事件に巻き込まれた被害者が、事件に関わる記憶などを一切失ってしまったというテレビドラマや映画を見たことがある人も多いのではないでしょうか。
そのような、ショッキングな出来事によって記憶を失ってしまうことを心理臨床の現場では解離性健忘と呼びます。
それでは、解離性健忘とはいったいどのような精神障害なのでしょうか。その原因や具体例、症状と診断基準、治療法と接し方などをご紹介します。
目次
解離性健忘とは
解離性健忘とは、脳の器質的な損傷によるものではなく、ストレスなど心理的な要因によって自分に関わる記憶を思い出せなくなる精神障害であり、心因性健忘や機能性健忘などと呼ばれることもあります。
解離とは
解離とは、こころの中に収めておくことができないつらい体験や感情を意識しないように、こころの外に追いやる心理的な防衛のことです。
そのため解離が起こると、本来はつながっているはずの記憶や意識が途切れるという現象が生じます。
例えば、「クレーム処理の最中に頭が真っ白になってしまった」ために、内容をうまく思い出せないというケースがあるかもしれません。
このように解離は精神障害でなくても生じるものであり、それが正常な解離であれば、生活上の問題はさほど起こりません。しかし、それが病的な解離となってしまうと、途端に社会生活を送るうえで支障をきたしてしまうのです。
解離性健忘の特徴
解離性健忘は人間の記憶が心理的要因によって失われてしまう障害です。
しかし、記憶、特に長期記憶には様々な種類があることが知られています。
【陳述記憶】
- 意味記憶(日本の首都は東京などといった所謂知識)
- エピソード記憶(小学生の時に家族で旅行に行ったなどの所謂思い出)
【非陳述記憶】
- 手続き記憶(自転車の運転の仕方など意識上で強く意識されることのない運動に関する記憶)
それでは、解離性障害はこのような記憶とどのような関わりを持っているのでしょうか。
解離性健忘で障害される記憶
解離性健忘で主に障害されるのは、自身の意味記憶及びエピソード記憶の一部です。
例えば、エピソード記憶が障害されることで、トラウマとなりうる、強盗に巻き込まれ、自分がいつから、どこにいて、何をしていたのか、犯人の特徴はどのようなものだったかなどが思い出せなくなります。
また、心理的な葛藤から、自分の名前がどのような名前であったか、どこ出身で、両親はどのような人物かなどの記憶が失われて失踪してしまう解離性遁走は、意味記憶が障害されるために生じていると考えることができます。
解離性健忘の種類と症状
解離性健忘には次のような種類があります。
- 限局性健忘:ある出来事に関わる一定期間の記憶が抜け落ちてしまう
- 選択的健忘:ある一定期間の出来事のいくつかは思い出せるものの、そのすべてを思い出すことができない
- 全般性健忘:これまでの自分に関する記憶の全てを忘れてしまう(解離性遁走を引き起こす可能性有)
- 系統的健忘:特定のことに関することだけの記憶が抜け落ちてしまう
- 持続性健忘:新しい出来事が起こるたびに、それを忘れてしまう
解離性健忘の判別
解離性健忘では、通常は手続き記憶や知的な能力などの障害は伴わず、過去の出来事を思い出せなくなってしまう逆向性健忘のみが生じます。
そのため、解離性健忘を発症して以降に新たに記憶をすることができないという順向性健忘は生じません。
また、脳に物理的なダメージを負い発症する器質性記憶障害では、記憶情報を貯蔵してある脳部位が損傷することで、情報そのものが失われてしまうということが起こります。
しかし解離性健忘の場合は、継続する耐え難い状況や内的な葛藤によって発症するものです。記憶情報が失われた記憶障害なのではなく、思い出せなくなってしまった記憶障害であるということに大きな違いがあります。
解離性健忘の原因
解離性健忘のはっきりとした原因はこれまでの研究においても明らかにされていません。
しかし、解離性健忘は、記憶理論に合致した症状を示します。
記憶理論は脳内の機構に沿って提唱された理論であるため、すなわち解離性健忘も脳内の何らかの記憶に関する神経機構が障害もしくは抑制されていると考えることができます。
解離性健忘の脳内基盤
解離性健忘の発症・維持要因としての脳内基盤としては、次の2つの説が提唱されています。
【解離性健忘に関わる脳内基盤】
- 精神的ストレスが前頭葉の認知コントロール・遂行機能システムを作動させ、その活動が内側側頭葉や間脳の記憶システムを抑制する
- 外傷的出来事によって誘発されたストレス関係の神経伝達物質やホルモンの放出により、右半球の前頭-側頭領域のネットワークが機能的に遮断される
これらの説の大きな違いとして挙げられるのは、ストレスなどにより脳の1部が活性化することによって記憶に関わる領域の活動が妨げられるのか、それとも記憶の想起に関わる部位自体が障害されるのかという点です。
菊池(2011)は、この2つの説のどちらが有力なのかを検討するために、解離性健忘患者の脳内活動をfMRIという脳内の活動を画像化する手続きによって調査しました。
その結果、解離性健忘に関連して、両側の背外側前頭前野や腹側前頭前野の活動が上昇し、その一方で海馬の活動が低下していました。
そして、解離性健忘の治療後、つまり症状がみられなくなったときには脳活動の変化も消失したのです。
このようなことは、解離性健忘には脳内の神経活動の変化という基盤が確かに存在していることを示しており、前頭前野の活動の活性が内側側頭葉(海馬のある脳部位)の活動を抑制することで健忘症状が生じるという機序が原因であると考えられます。
解離性健忘の要因
また、解離性健忘には幼少期の辛い体験や葛藤などが関連していることが指摘されていますが、上記のような脳の活動を導く、発症の契機となる出来事には次のようなものが多いとされます。
【解離性健忘発症の契機となる出来事】
- 事件・事故・災害
- 借金や貧困などの経済的問題
- 失恋や離婚などの異性問題
- 頭部を含む軽い外傷
解離性健忘の治療法や接し方
解離性健忘はストレスや内的な葛藤など心理的な要因が原因であり、不眠などの2次的な症状が起きている場合などは睡眠薬などが補助的に用いられることがありますが、基本的には心理的な問題に対するアプローチとしての心理療法が有効とされています。
特に解離は自分に対し、不快な出来事を自分のこころから切り離すというというメカニズムによって生じると考えられているため、ストレスとなる出来事を減らし、休養を促すような環境調整が重要です。
また、いじめや虐待などの外傷経験から立ち直るために、自らの記憶から切り離す解離という対処を過剰に用いているため、そのようなショッキングな出来事も自分の一部であると受容できるような家族や治療者との安心できる信頼関係を築くことで、解離以外の対処法(心許せる人に相談するなど)を身に着けられるよう導くと良いでしょう。
解離性障害の症状の多くは、ある程度時間が経てば自然に解消されたり、別の症状へ移行することも多いため、患者が安心できる環境をつくり、治療経過を温かく見守る姿勢が求められます。
解離性健忘について学べる本
解離性健忘について学べる本をまとめました。
わかりやすい「解離性障害」入門
解離性健忘を含む、解離性障害で示される症状は、健常者が普段経験することのない異質な体験であり、それを体験的に理解することは非常に難しいでしょう。
そのため、解離性障害について学ぶにあたってはなるべくわかりやすい入門書を選ぶようにすることがおすすめです。
実践入門 解離の心理療法―初回面接からフォローアップまで
解離性障害に対して、適切な治療とはどのようなものなのでしょうか。
解離性障害は外傷体験と深い結びつきを持っているため、初回面接からしっかりとした信頼関係を築けるかどうかが、良好な治療経過をたどれるかどうかに大きく影響します。
初回面接から治療後のフォローアップまでをまとめた本書で解離性障害についてのアプローチを学びましょう。
不思議なこころの働きによって生じる解離性健忘
解離性健忘は19世紀という古くから注目されてきた精神障害です。
精神分析的立場では、無意識から上ってくる欲動や心的外傷体験から自我を守るために防衛を行うため発症するという捉え方がなされてきましたが、近年の医学の発展により関係する脳神経基盤が分かるといった変化がみられます。
今後も、最新の研究結果に注目し、解離性健忘に関する正しい知識を身に着けるようにしましょう。
【参考文献】
- 菊池大一(2011)『解離性健忘の神経基盤』高次脳機能研究 (旧 失語症研究) 31(3), 319-327
- 廣澤愛子(2010)『「解離」に関する臨床心理学的考察--「病的解離」から「正常解離」まで』福井大学教育実践研究 (35), 217-224
- American Psychiatric Association(高橋三郎・大野裕監訳)(2014)『DSM-5精神疾患の診断・統計マニュアル』医学書院