リビドーとは?その意味や使い方、発達段階との関連について解説

2021-01-25

現代の臨床心理学に絶大な影響を与えることとなった精神分析では、人間を突き動かす衝動の働きを分析することによってさまざまな精神疾患や社会不適応を捉えようとしてきました。

そこで今回は、人間の根源的な衝動であるリビドーを取り上げ、その意味やフロイト・ユングによる考えをわかりやすく解説します。また、発達段階や精神障害との関連についても触れていきます。

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リビドーとは

リビドーとはラテン語で性衝動を意味する用語であり、英語ではSex Driveと呼ばれます。

対義語はデストルドーと呼ばれ、死に対する欲望であるとされます。

リビドーの意味と定義

リビドーとは、人間に生得的に備わっている本能のエネルギーのことを指します。

もともとのリビドー(libido)という単語は「~を気にいる」「好ましい」という意味を持つリベット(libet)という動詞からから派生したものです。

そしてさらにリベットという言葉の派生を見ていくとローマ神話における女神であるリベンティーナへと行きつきます。

リベンティーナは肉体的な美しさや快楽の象徴であり、それが由来してリビドーは情愛や快楽が強調される用語になったと言われています。

リビドーと構造論(自我・超自我・イド)

精神分析の創始者であるフロイト,S.は人間は自我(ego)と呼ばれる、「これは自分」と思える範囲を持っているとしました。

そして、その自我以外のこころの領域に、自分以外のモノという意味でイド(id)と呼ばれる範囲があるとしています。イドは、普段自分に意識されることはないため、無意識の領域に位置するとされています。

フロイトは、イドが快楽原則と呼ばれるルールに基づいて衝動を開放し、リビドーを充足するために行動を起こそうとすると考えました

そもそもイドの中にあるものは自我に含まれることが認められないものであるため、そう簡単に無意識から意識の領域まで昇ってきてしまっては困ります。

そこで超自我と呼ばれる道徳原則に基づいて解放されたリビドーを監視し、禁止する超自我(super ego)と呼ばれる機構が働きます

しかし、そのままでは快楽の基づいて働くイドと道徳に基づいて働く超自我の間で大きな葛藤が生まれてしまいます。

そこで、現実原則に則って機能する自我が、イドと超自我それぞれの間に入り衝突の少ない(超自我が許容できる)ようリビドーの形を変え、それが行動として表出されます

このような、自我・超自我・イドという3つの心の機能を想定したフロイトの理論は構造論と呼ばれます。

フロイトとユングによるリビドーの捉え方

リビドーは精神分析学派の中で重要な意味を持つ用語です。今回はフロイトとユングのリビドーに関する主張を取り上げてみていきましょう。

フロイトによるリビドーの理論

人間を含むあらゆる動物が行う生命活動の根本は、「自らの生命を維持すること」、そして「自らが所属する種族の繁栄と持続」を目的としているという前提に立ちました。

そのため、生きていくために必要な行動の原動力であるリビドーを生殖と密接な関係にある性的な欲動の力であると考えます

現代では、性的な欲求というと思春期を過ぎ、ある程度発達が進んでから発現するというイメージがありますが、初期のフロイトは、出生後の乳幼児であっても性的な欲動は機能を果たしていると主張し、それを幼児性欲と名付けました。

ユングによるリビドーの理論

フロイトの弟子であり、分析心理学の祖であることで有名なユング,C.G.も精神分析学派であり、リビドーについて言及しています。しかし、フロイトとの決定的な違いはリビドーを性的なエネルギーとして捉えなかった点です。

ユングはリビドーを心的なエネルギーとして捉えました

そもそもユングとフロイトは無意識に対する捉え方が少し異なります。ユングはそれまでフロイトが無意識と呼んでいた領域を個人的無意識と呼びました。

そして、個人のこころの中には個人的無意識を超えた全人類に共通する普遍的な無意識の領域を意味する集合的無意識と呼ばれる領域があるとしています。

このように、無意識をすべての人に共通した普遍的な領域までも含めた概念と捉えたことから、そこから湧き上がってくるエネルギーを、人間を含むあらゆる生命体の根源的な生命力そのものを意味する普遍的な精神的エネルギーとしてとらえるようになったのです。

発達段階におけるリビドーと性格の関連

フロイトはそれぞれの発達によってリビドーが充足される身体の部位が異なり、それに基づいて人格が形成されるとする心理性的発達理論を提唱しました。

それぞれの発達段階は次の通りです。

  • 口唇愛期
  • 肛門期
  • 男根期(エディプス期)
  • 潜伏期
  • 性器愛期

フロイトが提唱した各発達段階の特徴と各時期におけるリビドーを順番にみていきましょう。

口唇愛期

出生してからおよそ2歳までの時期のことを指します。

赤ちゃんを見てみると、なんでも口に入れて確かめようとする傾向があることに気づくかと思います。また、生命を維持するために重要な食事では、授乳という形で母親と唇を使って接触します。

このように、乳幼児にとって口唇は非常に重要な意味合いを持っています。

そこでフロイトは、乳幼児期においてリビドーが口唇に集中し、母親屋の甘えと受容される経験こそが発達的な課題であると捉えました。

肛門期

おおよそ2~3歳の時期が該当します。この頃の幼児が直面する現実的な課題こそがトイレット・トレーニングです。

この時期はリビドーが肛門に集中しています。

これまで、養育者から甘えることを許され、受容されてきたため、おむつに排便しても養育者が片付け、おしりをきれいにしてくれていたわけです。

しかし、トイレット・トレーニングを通じて養育者から排泄のしつけを受けることとなります。

適切なしつけを受けることで、それは内在化され主張的・能動的な特徴が形成されるというのがこの時期の特徴です。

男根期(エディプス期)

およそ3~6歳の時期が該当します。この時期は性器いじりと呼ばれる行動がみられるように、リビドーは男根(ペニス)に集中しています。

男の子の異性親である母親に対し、性愛的な感情を抱きます。そして、母親には既に父親というパートナーがいるため、父親に対し敵意を向けるようになります。

しかし、父親のほうが力が強いことは言うまでもなく、敵意を抱くと共に父親から男根を奪われてしまうのではないかという去勢不安を抱きます。

その後、発達が順調に進めば、母親を性愛の対象にすることを諦め、父親の男らしい言動を見習いモデルとして見習うようになります。

潜伏期

およそ7~12歳の期間が該当します。

小学生が男女関係なく入り混じって遊ぶように、この時期ではリビドーが抑圧され、知的な活動や社会的規範の獲得に注力されます。

この時期ではリビドーが特徴的な活動に繋がらないため、この時期に形成される性格傾向に関しては触れられていません。

性器愛期

13歳以降の時期が該当します。

身体的な成熟に伴い、これまでの発達段階において分散されていた口唇・肛門・男根のリビドーが性器を中心として統合され、性的快感をもたらす時期とされます。

この時期に到達すると、成熟した感情を示し、人を愛して受容するという理想的な大人の人格が形成されます。

リビドーと精神障害の関連

精神分析の学派では、それぞれの発達の過程において、充足されるもしくは充足されすぎることで発達課題に失敗し、それが精神障害の原因になると考えられています。

固着と退行

精神分析では固着と退行と呼ばれる概念が病理に深く関わっているという説明をしています。

  • 固着:各発達段階においてリビドーの充足が適切に行われないことで、その段階に固執・執着すること
  • 退行:重篤なストレスを受けた際に、発達上で固着が起こった段階での対処法に逆戻りすること

フロイトは固着を軍隊の行進を例にして説明しています。

軍隊では目標とする敵の本陣に攻め入るまでに、敵の部下の軍隊と何度も戦闘を行います。

ここでより早い段階で敗北を経験するほど、自軍の戦力と士気は下がり、本陣にたどり着くころには弱弱しい戦力へとなってしまうでしょう。

そのため、より早期の発達段階で固着が起こることによって個人の脆弱性が浮き彫りとなり、より病理の深い精神疾患を発症するリスクが高まるとされます。

また、固着点への退行(精神分析での退行は様々な意味合いで用いられます)が起こるときの自我は極度のストレスに晒されることによって弱り、リビドーに巻き込まれやすくなっています。

自我は欲動に巻き込まれ、現実的な対処を行うことが困難となっているため、不適応的な対処法を行うことで症状が現れてくるのです。

ヒステリー

ヒステリーとは心因性の身体症状及び解離症状を示す疾患です。例えばヒステリー性の混迷(気絶して意識を失うこと)や手袋型の麻痺(手首から下が急に動かなくなる)などが代表的です。

ヒステリーには男根期(エディプス期)に退行することで生じるとされています。

というのも、エディプスコンプレックスで起こった父親への敵意と去勢不安は無意識から登ってこなくなるよう押し込めておく「抑圧」という防衛を行います。

この抑圧がヒステリーを引き起こすと考えられているのです。

抑圧によって生じるヒステリーの具体例

抑圧がどのように(転換型)ヒステリーを引き起こすのか、具体例でみてみましょう。

中学生のA君は、部活動の苦手な先輩に会いたくないという思いがありました。

その苦手な先輩に対して抱く敵意はA君にとって認めがたいことであるため、抑圧という防衛機制によって無意識へ抑え込んでいます。そこで、「苦手な先輩に顔を合わせずに済むためには、足が病気で動かなくなって学校へ行けなくなれば良い」と気づきます。

しかし、その思い自体も抑圧してしまい、足が動かなくなるきっかけとなる先輩への敵意に気付かないように自意識を守りました。

抑圧は、認めがたい衝動や欲求が自意識へ昇ってきて気付いてしまうことが無いよう、無意識に閉じ込めておく強力な防衛です。

しかし、男根期の固着へと退行し、抑圧にばかり頼ってしまっていては、いつか欲求が抑え込めなくなってしまうかもしれないという無意識的な不安が生じてしまいます。

そのため、身体症状を発することでその欲求を表現しようとし、転換型ヒステリーが起こるのです。

強迫神経症

強迫神経症は肛門期の固着へ退行することで生じると考えられています。

例えば、「汚いものを触ってしまった手を洗わずにはしれない」といった不合理な観念(これを強迫観念と言います)が頭から離れず、それが不合理とは分かっていながら何度も手を洗う行動を繰り返してしまう(これを強迫行為と言います)など。

肛門期の特徴としては、トイレット・トレーニングなどのしつけが行われるということでした。

この時期では、お漏らしをして汚してしまったらしつけによって怒られてしまい、愛する養育者の受容を受けることができません。

そのため、しつけの内容とそれに付随する親への怒りを切り離す隔離や汚してしまいたいという欲求と真逆のきれいにするという欲求にあえてノッてみるという反動形成、怒りを表してしまったあとに謝ってなかったことにしようとする打消しといった防衛を行います。

強迫症状も、手が汚れたときに生じる嫌悪感と汚れたという観念が切り離されている隔離や過剰なまでにきれいな状況にこだわる反動形成、手を洗うことで汚いものに触れたことをなかったことにしようとする打消しなどによって生じています。

これらは適度であれば、きれい好きという望ましい特徴ですが、自我が弱り、欲動に対して現実的でない対処をしてしまうと過剰となり、何度も繰り返しやめられない強迫症状へと発展してしまうのです。

リビドーについて学べる本

リビドーについて学ぶことのできる書籍をまとめました。

精神分析的人格理論の基礎

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日本における精神分析の大家である馬場禮子先生が書いたこの本は、専門的な用語についても日常的な例えを交えながら解説しています。

これからリビドーや精神分析の発達理論を学びたい初学者にもおすすめです。

ケースの見方・考え方:精神分析的ケースフォーミュレーション

精神分析的な観点でカウンセリングのケースを考える際に注目すべき点をまとめた本書の中には、精神分析における重要概念二関しても説明がなされています。

少し内容が難しいため、精神分析に関する知識をある程度身に着けてから手に取るのをおすすめします。

生きるための原動力となるリビドー

初期のフロイトが提唱したリビドーは性的な欲求であるとされたため、多くの心理学者から幼児が性欲を持つことはないと厳しい批判を受けました。

しかし、この理論によって多くの疾患の理解が進んだことは事実であり、より広義の生命的なエネルギーと捉え直されることによって現代の精神分析においても重視視されている概念です。

これから精神分析に興味のある方はこれを機にしっかりと学んでおきましょう。

参考文献

  • 馬場禮子(2008)『精神分析的人格理論の基礎』岩崎学術出版
  • 嶋崎裕志(2012)『人格の研究4』太成学院大学紀要 14(0), 75-84

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    • この記事を書いた人

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    臨床心理士指定大学院に在学していました。専攻は臨床心理学で、心理検査やカウンセリング、心理学知識に関する情報発信を行っています。

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